「愛顔」今回のインタビュー:此上勝さん

二度と戦争を起こさない為に…子供たちに伝えたい!
防空壕の守り人 此上勝さん

此上勝さん

八幡浜第一防空壕は四国で最初の本格的な防空壕として、当時の八幡浜警察署長を中心とした団体が、八幡浜市民の命を守る為、大東亜戦争前の昭和16年2月に完成した。約50人~100人位が避難できる大規模な防空壕は国内でも非常に珍しい。戦時中は米軍機のから身を守るため何度か市民の非難に使われた。戦後は貝ボタン工場が前に建てられその存在が忘れられていたが、工場の取り壊しにより再び姿を現した。現在、防空壕は近所の此上勝さんら住民有志が管理し、戦争体験の遺産を後世に伝えている。

管理を初めてどれくらいですか?始めたきっかけは何ですか?

防空壕が発見されたのが約12,3年前。前に建っていた貝ボタン工場がなくなり、更地にしたところ、八幡浜第一防空壕と書かれた文字と入り口が発見されました。それから約10年前に鹿児島県の洞窟で、中学生が一酸化炭素中毒で死亡する事件がありました。この防空壕も当時は中学生や高校生が出入りしており、子供たちの安全の為に木製の扉を取り付け管理したのが始まりです。その後、所属している幸会の協力を得て、中に電気を引き、看板を立てて見学できるようにしました。

活動はどんなことをしているのですか?

見学ツアーだったり、小学生の社会科見学だったり、防空壕の案内や説明をしてます。

続けていく上での問題点はありますか?

今後の防空壕の管理と保存です。防空壕が発見された当初から、土地の所有者が不明のため、修繕を誰に頼めばいいのか分かりません。市が土地を購入してくれればいいんですけど・・・。後を継いでくれる人がいないんですよ。これから先、どうやってこの防空壕を保存していくか、そのためにどうすればいいか、解決策が無いのが問題です。(此上さん74歳)

今後の希望や目標はありますか?

昭和15年5月起工された防空壕。私も昭和15年5月生まれ。ほとんど記憶にはなく、私自身もはじめは知りませんでした。再発見され、防空壕の管理を初めて約10年。まだまだ防空壕の存在すら知らない人が多いです。そういう人たちにも防空壕のことや、私たちの活動のことを知って欲しいです。防空壕を通じて今の子供たちに、戦争のことを伝えていきたいです。最近では、3D実測を行ってもらいデータとして保存する事が出来ました。今後は、市の文化財登録や、八幡浜の名所になればうれしい。

此上勝さん
仕事: 此上あんこ店
趣味: 登山、散歩
好きな場所: 諏訪崎

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